不変と革新 〜 長寿経営に向けて 〜

太平洋戦争の時代、梶原鉄工所(兵庫県姫路市、梶原敏樹社長)は、広島県にあった呉海軍工廠の指定工場だったという。創業者の高度な溶接技術や、ボイラ・圧力容器を作る資格があったことが評価された。創業は1915年。現在も製缶・溶接・機械加工などの技術で、集塵機や脱臭装置、小型熱交換器などを手掛けている。
創業から108年の道のりは決して平坦ではなかった。戦後は外資系企業向けに船舶向けオイルヒーターやボイラ、集塵機などを製造してきたが、過大な設備投資の負担から、72年に会社更生法の申請に追い込まれた。
親交の深かった外資系企業が資本参加し、立て直しを図ったものの、90〜2000年代に入ると日本での生産が高コストとなることなどを理由に受注が減少。大きな岐路に立たされた。そこで同社が取り組んだのが、設計から行うエンジニアリング会社として自社製品を製造すること。「図面をもらって作るだけではいけない」(梶原社長)と、下請けからの脱却へかじを切った。「引き合いが増えるまでが大変だった」(同)が、現在は売上高の約3分の2を自社製品が占めている。
何度か危機に陥りながらも事業を継続できた理由として、梶原社長は「社員や縁を大事にしてきたこともあるが、正直に仕事をしてきたことも理由」と語る。過去の製品トラブルでも誠実に向き合った結果、その後に鉄鋼メーカーなどからの引き合いが増えたということもあった。
梶原社長は「原理原則にのっとった仕事をしてほしい」との思いから、就任時に経営理念を策定した。長年かけて築き上げた信用を守るためにも、社員一人ひとりには胸を張れる仕事をしてほしいと願っているという。

【企業メモ】
5月には新工場が完成する。1936年から使用し、老朽化していた本社工場からは順次移動する計画。新工場では太陽光パネルを設置し、発電電力を自社で使用するなど環境にも対応したモノづくりに取り組んでいく。

(2023年3月27日 日刊工業新聞に掲載)

お気軽にお問い合わせください。

お問い合わせはこちら
Copyright 2024 株式会社梶原鉄工所